俺の哲学

20代の全力の軌跡

はてなブログであった本当にあった暖かい話・・・。

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 はてなブログに本当にあった暖か~い話。

 

ちょっとだけ嬉しいことがありました。

 

ちょっとというのは照れ隠しなんですけど、はてなブログをやって良かったなと思える出来事が起きたのでログしたいと思います!

 

 

自分語りから入ってしまって申し訳ないのですが、少しだけ話させてください。

 

僕はFラン大学出身で、大学1年、2年そのコンプレックスはすごかった。

今となっては インターン先でよくして頂けたり、ラッキーだったなと思うし、考え方と自分が闘う土俵によってはそんなに学歴は関係なかったり。

 

それで、対して才能もなければ、社会に必要とされる人間でもないし、めちゃくちゃひねくれている。

自分は本当にこの世に必要な人間なんだろうか みたいなヒステリックな状態に陥ったこともありました。

 

また、家庭は訳あって母子家庭で、兄弟はみんな家を出てしまって、母と猫の3人暮らしだ(一応)。 

母親がコーヒーを飲むことになったので、「ついでに僕のも作って欲しい」と言ったら 「自分のものくらい自分でやれ」と突き放されたり、ネコが食べたものを食べたくないので、イタズラ等で食べたものは はじいてほしいと言っているのだけれども、明らかに噛み痕がついた食べ物を見つけたので 

 

「これあいつ食べたでしょ?」 と問いただしたところ

「食べてないよ」 と言われたので噛み痕を見せて

「じゃあこの噛み痕はなに?」と聞くと

「・・・・(苦笑 」とだんまりしてしまった。

 

といった具合にまったく愛情を感じていないどころか、むしろ経済的な援助だけで親と繋がっている感覚をいつも持ってる。

自分が骨折して送迎をお願いせざる負えない状況でも めちゃくちゃ文句を言われたり、あとあとになっても骨折した時、送迎してあげただろと掘り返されたりする。

 

僕はそんな母親を未だ好きにはなれずにいる。

 

大学まで行かせてもらってそれだけでも感謝しないといけないんだけど、どうしても周りの母親の話を聞くと悲観的になってしまう。

 

だからといって、嘆いたりはせず(今回は話してしまったけど)助けて欲しいとか共感して欲しいとも もう思わなくなってしまった。

 

昔は思っていたのだけれども、誰かに話したとしても親への価値観が違い過ぎるのと親への絶対的信仰(ここまで育ててきてもらったんだから無条件で感謝するべき)を押し付けられては 愚痴をこぼすことすら許されないのだな とその感覚が染みこんでしまった。

 

そして、彼女もいない。  

 

なんか生きてていいんだよみたいな かっこよく言えば生きる意味とかそういうものを与えてくれるのって愛情 =彼女とか家族なんだろう と僕は考えている。

それを仕事でもらう人もいるみたいだけど、でもやっぱり愛情の方が強いと思う。

 

僕はそのライフラインはほとんどなくて がんばって生きてる(笑)

 

そして先日、はてなブログでこんなことがあった。

 

はてなブログ暦5日でホッテントリ入りした単純な方法 - ニッチブログ

 

ここで僕の記事が取り上げられていた。

 

とりあげられていた記事はただはてなブログをはじめた理由を見よう見まねで思ったことを書いただけだったのだけれども、そのアンサーとして、はてなブログ初心者の僕に はてなブログへようこそ!と歓迎してくれているように、はてなブログについて事細かに解説した記事を書いていただきました。

 

僕は自分の記事に解説までつけて事細かに説明されたことが無かったからすごく嬉しかったし、勝手なこっちの解釈だけど 愛情 を感じた。

 

これってなんかすごくおもしろいことだなと思って、それはなんでかというと 僕は愛情のライフラインは彼女や家族 だと思っていたけども それがまさか はてなブログ でも 愛情を感じることがあるとは思ってもいなかった。

 

それがこういった形で、オフラインではなくオンラインで愛情をいただけたことがすごく嬉しかった。

 

はてなブログだと、批判コメントにびびって本音で書けないこともある。

 

けれども、きっとこうやって本音を受け止めてくれたり、色々アドバイスくれたりする人もいるということを忘れちゃいけないなと思った。

 

それがはてなブログの良い所でもあるんだなと。

 

また改めて、はてなが好きになれた。