【学生】学生たちが創りだした社会の中で上を目指すもの
めちゃくちゃ恐い絵になってしまった・・・。
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「誰かにどう思われるかを気にして生きるよりも
誰にどう思われてもいいように生きている方が楽だ」
ということを考えていきたい。
【 学生 】
偏差値、学歴というしがらみの中で 学生達が独断と偏見でつくりだした社会の中で上を目指していかなければならない。
”学生カースト”と言われる言葉も存在ように
-参照元 ユチペディアー
最近、思っていたことがある。
社会の分類の中で 学生 という カテゴリ が 独立している ということだ。
「そりゃ、あたりまえだ。」
という簡単な言葉で終わらせたくないものである。
社会はお金という数字を追っかけて社会が成り立っているのはご存知の通り。
なにをするにもお金が必要で、お金があればある程度の生活ができる。
だから、生きるために人 は 働かないといけない。
とにかく、お金で社会 は 成り立っている と とっくるめる。
では、学生はどうか?
お金 を 追っかけなくても学生自身は 学生という社会の中で生きていける。
お金の無い社会がある意味では成立している。(学生自身の中では)
故に、人間くさい欲望が素直に表に出ている。
その欲望に従って優劣を創りだし、それが連なって社会を創りだしてるのではないか?
そこで一つ例を挙げよう。
承認欲求
大学生は、やたらとオシャレをしたり、たくさん友達をつくったり 誰かに認められたくて必死になる。
これは、反抗期を通るのと同様な通過儀礼ともいえるかも知れない。
頭が良いと認められたいから 成績を追う。
モテて女に愛されて 自己承認したいから モテようとする。
誰かに自分を認められたいから 友達をつくる。
そこで成績で優劣を決めたり、オシャレかオシャレじゃないかで優劣が決まったり、友達が多いか少ないか?で優劣が決まる。
こういった感じで 学生共々 は 承認欲求に従って社会を創りだしているのではないでしょうか?
無論、それが社会人になった時さほど意味などもたない言うまでもないですが。
だからこそ、学生という社会は独立して存在していると思うのです。
と ここまで偉そうに語ってきたが僕もその一人である。
とある日、サークルの後輩の前でぼくはやたらと男女共に友達がたくさんいることを
アピールしたくなった。
サークルに友達は多くなくいつも2~3人で一緒にいる。
でも、サークル外には美男美女の友達がたくさんいる(自慢)。
だから、それを知って欲しいと思い
いつもより、後輩の前で楽しそうにみんなと食事をしたのだ。
でも、あることに気がついた。
なんか、心が疲れた。
別に後輩はオレに友達がいようがいまいが関係の無い事でそこに対して興味はないとは思う。
でも、俺は知人にどれくらいの友人関係がいるか気になる。
だから他人も同じように気になっているのではないか と 考えてしまう。
どうしても、友達がいる から あの人は良い奴なんだとか
友達がないから あいつは変わり者なんだとか
自分の中で カテゴリ化 したくなってしまう。
そういうオレこそが 学生という独断と偏見の社会を創りだしている人物の一人
であるかもしれない。
残ァ念んん・・・。デデーーン(なんとか侍
ただ、一つ良い発見があった。
「誰かにどう思われるかを気にして生きるよりも
誰にもどう思われないように生きている方が楽だ」
ということだ。
周りに 顔見知りの人が何人もいると どう見られているか気になってしまう。
それは非常に心が乱れてしまうことだ。
きっと心を整えている長谷部主将はやっていないだろう。
赤の他人だと何もどう見られているか気にしなくてもいいので気が楽だ。
つまり、心の健康にはすごくいい。
ただ、善悪の判断がつけずらい。
「誰かにどう思われているか?」
を気にする自分はモテる上でも、マナーとしても、社会人としても、大切だ。
でも、そればっかりでは疲れてありのままの自分を見失ってしまうばかりである。
♪ let it go を歌いたくなる国民の気持ちもわかる。
「誰にもどう思われてもいいように生きる」
というのは難しいものだ。
でも、そんなありのままのあなたを好きになってくれる人もいるかも知れない。
だから、”バランス”が大事なんだと思う。
誰かにどう思われているか気にしながら
誰にもどう思われてもいいいようにも生きる
最近、疲れたという人 は
誰にもどう思われてもいいように少しだけ生きる
といいかもしれない。