俺の哲学

20代の全力の軌跡

絵に描いたような人生を送ったからといって幸せになれるとは限らない。

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ぼくは結構、自分の将来設計をするのが好きで...

 

というよりは目標立てて逆算しないと理想なんて手に入らないと思っている堅実派なだけなのですが。

 

ふと、恐ろしい事が起こってしまったのです。

 

理想の人生を手に入れた後に何も残らない

 

例えば・・・

 

お金持ちになって

理想的な奥さんと結婚して

家庭円満で

仕事も順調で

 

っていう生活を想像してみた。

 

いや、悪くない。むしろ良いんだ。

でも、何か物足りない気がするんだ。

 

働きたくないって思った時、ほぼニートのように過ごした大学生の春休みは物凄くつらかった。死ぬほど辛かった。

 

なんの刺激も無い人生を生きるのは死ぬよりも辛かった。

 

何となくあの時の恐怖感と重なったように思った。

きっと、幸せとは今俺が考えているもの中とはもしかしたら違う場所にあるかもしれない。

 

お金持ちになって

理想的な奥さんと結婚して

家庭円満で

仕事も順調で

 

なんて思ってる事が自分が幸せな人生を歩む要素の中で本当は至極小さなものなのかもしれない。

 

常にお腹が満たされている状態というのは決して幸せとは違う。

お腹が減るから食べ物はおいしく感じられるのである。

 

少なからず、幸せに生きるという事はそれなりのマイナス的な要因が必要になってくる。 

 

すなわち

本当の幸せとは、壁があり乗り越え続けることだ。

それを、分かち合い共に喜び合える人が隣でいることだ。

 

本当はそれだけで充分なのかもしれない。

 

いつも、理想的な人生というと楽ちんで贅沢な生活を送っていることを想像してしまう。

 

そんなもの実は検討違いなのかもしれない。

 

子どもが出来たって同じことだ。

 

子どもにとっての大きな壁を乗り越えた時に、それを分かち合ってあげられる父でありたい。共に喜び合える父でありたい。

 

結婚しても、慢心せずにこれから起きるであろう家族での問題も乗り越えていかないといけない、共に分かち合っていかないといけない。

 

 

 

きっとそれが本当の幸せなのだから。