俺の哲学

20代の全力の軌跡

大学も終わったことだし、大学の授業の話でもするか。

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大学生活が終わった。
あっという間の4年間だった。
 
とやかく、周りがやっているような・・・
「4年間成長できました!!」
とか
「すごく良い思い出で一生忘れない!!」
 

とかいう文章ではなく、ただただ感じた事をありのままに書いていきます。

 

トークテーマ①

 GPAいわゆる成績とはなんだったのであろうか?

成績とは非常に重要なものだと小学校の頃から知っている。

どれだけがんばったのかということを母親にお見せできるデータでもあり、ダメな部分は浮き彫りになって叱られてしまうデータでもある。

 

僕たちの大事な”進路”というのは成績が大きく舵をとる。

就活でGPAを見て判断する企業もあるそうな。

親へは郵送で行くようになっていた。

優秀な奴には金もでる。

 

超大事じゃねーかGPA。

 

ところがGPA、基準があいまい 過ぎる。

既に、平等なんてステージは与えられていない。

 

成績は先生の感覚、あるいは授業の採点方法によって決まる。

 

例えば一回も学校に行かないで鼻くそほじって家で漫画読んでずりせんこいてる奴でも先生が「テストには必ず出席して、そこの点数次第で単位も成績も出す」 なんて言えばテストに出席して点数さえ取ればGPAはAなのである。

 

はたまた、他の授業で超ガリ勉君が毎日予習復習を繰り返し授業も意欲的に出席したにも関わらず、どうにもこうにもテストがいままでやった授業ではなく、教養のテストでたまたまそこの教養のことを全く知らなかったとしてテストで0点を取れば、超まじめがり勉くんでも単位を落としてしまうのである。

 

しかし、企業は一切こういうこと考慮していない。

なぜなら 社会は 結果や数字が全てだからである。

 

なぜ、学校生活という社会とは似て非なるものの評価基準を社会と混同してしまうのかはよくわからないが、そんな理屈をこねてたって何も始まらない。

 

つきましては、とにかくもう一度大学生活を送る上では、授業の選考は先生の評価基準が限りなく自分の労力と反比例する授業を選び、限り無く楽に点数が取れそうな授業を取捨選択できる力を身に着けてから、大学に行くのが非常にコストパフォーマンスがいいと感じる。

 

”GPAを評価する理由としてそういう情報をキャッチできる「情報収集力」も試されている。” 

 

という人もいるだろうが、そういう風に後付けをしていくともうキリがない。

 

兎に角、大学の成績は平等ではない。

勉強が出来る人が評価されるのではない。

頭が良い人が評価されるのではない。

 

うまく生きて知恵を絞ってやるやつがGPAを勝ち取っていくのだ。

よく覚えておけ、新大学生達よ!!

 

ふぅ。

少しスッキリしたな。

俺もこの四年間で成長できたかな?

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