母がスマホにすることによる22歳への影響
母が最近スマートフォンにした。
自分が小学生の時からケータイを使っていた。
なのにいつの間にか自分の方が先にでスマートフォンを使い、いつの間にか母よりもインターネットやスマートフォンの操作が得意になっていた。
そしてやっと母が追いついた。
なによりめんどくさいなと感じるのは、”ググレカス” レベルの質問を連投してくることだ。 自分から調べるという癖が無い。
”人に教えを乞うという事は、自分で考えてそれでもわからなかったら”という指針の元、行動して欲しい。 そして、いくら悩んでもわからなかったことを教えてもらった時は素直に感謝し、いくら考えても答えが出なかったことが解決したことに対して大きく喜びを感じなければならない。
しかし、母はそれが無い。
バランスが崩れてしまっている。
”家族だから”と丸っと納めて終わらそうと思えば終わらせられる話ではあるが、それで納得いくほど僕も大層な器もない。 家族だからか。
と、まぁゆとり教育のバカ息子から、こんなブログで教養的な話をされているとは思いもよらないだろうが、母がスマートフォンにした事によって出た影響は、悪い事ばかりではないみたいだ。
以下、変化が起きたなと思った内容をまとめたみた。
1.会話が増えた。
TVというマスメディアにすべての時間を奪われていた母の情報力は乏しかった。
故に会話してても、単調、あるいわ既出の情報を持ってはあーだーこーだ話していた印象しかなかった。
それが、より専門的な話題となり、会話の中に情報の新鮮さが垣間見え、自分が知らないことも話してくれるようになった。
これは、つまらないと感じていた家族の中でのコミュニケーションとしては大きな進歩であり、これからお互いの関係を維持していくのに非常に有力である。
情報リテラシーというのはあるゆるところに影響してくるのか。
2.笑いが増えた
何より今日、伝えたいのはこの部分かも知れない。
笑いが増えたのだ。
例えば、しょーもないLINEを家に居て直接言えばいいのに母が送ってくる。
それを、スタンプ連打で返す。
普通の友人にやっては嫌がらせでおもしろくもなんともないが、母はそういったことでも使い始めだからか、ビックリして ”なにこれ!!” と笑いながらLINEを開いて動くスタンプたちを眺めていた。
多分、スマートフォンを持ってなければ起きなかった笑いだ。
家族の少しだけ、暖かくなった気がした。
そしてコミュニケーションも増えた。
最近は、スマートフォンを利用した事件とか、社会問題とかスマートフォンを持つことがあたりまえになった今、だからこそ、スマートフォンを持つことによってこんな影響もあるのかと、気付け無かったことに気付けたのである。
”本来持っているWebの力” が当たり前になってしまったからこそ見失ってしまったのかもしれない。
パソコンのようなハイスペックな端末を持って歩けるのは
LINEのように会話のようにコミュニケーションをどこでもとれるのは
わからないことがあった時にすぐに調べられるのは
どれも、あたりまえではなかったことだ。
そしてそれがあたりまえになってくれたおかげで、家族にいい結果をもたらしてくれた。コミュニケーションが増えた。笑いが増えた。
スマートフォンを持つことはそんなに悪い事じゃない。
その文明の開化をこの時代に産まれた事を素直に喜ぶとともに感謝しようと思う。