俺の哲学

20代の全力の軌跡

本当に人見知りの人へ

 

 

僕は極度の人見知りでした。

 
初対面では、無表情を保ち続け貴様には一切興味なんて無いなんて面してた。
自分から話し掛けることも一切無かった。
 
最初に話し掛けられても苦笑いしかできることがなかった。
懐くには時間が掛かる人間だった。
 

 

 
 
でも、いつの間にか初対面の人と物怖じせず話せるようになった。
 
人見知りとはなんなのかと考え初めてだからだろうか。
いや、モテたいと思ってコミュニケーションが大事だと思い始めてからだろうか。
 
人見知りなんて一種の防衛本能で自分が傷つかないように、リスクヘッジをかけてるに過ぎない。
 
人見知りしてる時は相手を警戒して良く見ている。
自分を傷つける様な人間じゃないかということをあらゆる角度から相手を見ている。
そして自分と仲良くなれるような人間かどうか分別していく。
 
恋愛に臆病になった点はマイナスかもしれないけど
 
 
でも、気付いたら、沈黙を恐れなくなっていた。
人見知りについて、あらゆる角度から見てみたからだ。
 
いつの日か相手も喋ってないなと気付けた。
 
だから、人見知りをそこまでコンプレックスに思わなくなった。
相手も人見知りと思ってる。
 
コミュニケーションに優劣関係があったとしたら、人見知りと思っている人は完全に自分が劣等だと思っている。全然話せないから。
 
 
自分と比べてたいして人見知りじゃないのに 人見知りと豪語する人もたくさん見てきた。
絶対あいつ人見知りじゃないのに、「私人見知りだよ~~」と言ってる人間を何人か見てきた。そして自分もそのうちの一人かも知れない。
 
ただ、自分を人見知りと言えば人見知りと認定されてしまうし、人見知りに具体的な定義なんてないことから、”自分は人見知りです!”と豪語しているのがとても稚拙に思えてきた。
 
・・・
 
 
だから、俺は人見知りというのを辞めた。
 
 
人見知りと言ってはじめから保険をかけるような情けない行動をしない。
人見知りだからこそ、初対面でなかなか話せない人見知りの人の気持ちがわかる。
 
その相手の気持ちがわかるからこそ、人見知りの相手に対してがんばって話しを振ってあげる。
 
そういう意識をしていたら、気付いたら人見知りをしなくなった。
人見知りはしてるけど、がんばって話すようになっていた。
 
だから、本当に人見知りの人こそ、人見知りを救ってあげれるんだと思う。